INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

天国のアレモンへ

今日はアレモンの命日。
はじめに断っておくと、個人的にはアレモンの命日を、現地時間の7日と考えるべきか、日本時間の8日とすべきかわからない。
常識的に考えると7日なんだろうけど、個人的にはそれだと変な気もする。
でも7日の今日書いたこの記事は、明日8日の夜までトップに残るはずだから、それでとりあえず曖昧さを解決しよう。


姫苺の部屋には、05年にJ1昇格を決めた水戸戦で、試合後に選手がゴール裏に集合して撮った記念写真のポスターが貼ってある。
マガだかダイだかの付録だった。
ここに映っているメンバーの、約半数はサンガを去っている。
ポスターの入れ替わりが激しい姫苺の部屋だけれど、このポスターだけは剥がせない。
満面の笑みを浮かべるアレモンがいるからだ。


アレモンときいて真っ先に思い浮かべるのは、06年サンガのCMにも使われていたシーン。
美尾さんがゴール決めて、アレモンに抱きつく大好きなシーンだ。
アレモンは入団して一番初めの、京都駅大階段でのイベントの時から、楽しくて、みんなを笑顔にする人物だった。
後に移籍した横浜FCでもそうだったに違いない。
それなのに突然の事故死で、サンガサポ、そして横浜サポを哀しみに突き落とすなんて…。


たしか姫苺は9日に訃報を知ったと思う。
どのタイミングでだったかは忘れたけど、西京極での追悼試合までにゲーフラ作ろうと決意した。
追悼試合は14日だったから、5日ほどでゲーフラ作り上げたわけだ。
布と絵の具すらなかったのに、よく5日で作れたものだ。
車がなくて、わざわざバスでスーパーまで行った気がする。


未だにあのゲーフラを作った時のことは、昨日のことのように細かく覚えている。
百均でゲーフラを飾る白い造花を真剣に選んだこと。晩ご飯の食卓になかなか行かなくて怒られたこと。部屋でゲーフラ塗ってた位置まで覚えてる。
それだけ真剣だったのかもしれない。
白色の絵の具がなくて、仕方なくクリーム色を買ったら、以前から他の人のゲーフラを見て「どうやって出すんだろう」と思ってたまろやかな白になって嬉しかったことも。
アレモンが教えてくれたのかな。


京都中が祇園祭に沸き立つ日、花束(これは生花。車のない姫苺の分も友達が手配してくれた)を抱えて西京極へ向かった。
未だにユリの花の臭いを思い出せる。
橋のところで、ダフ屋のおばちゃんがこう言った。
「誰か死んだんやろか、みんな花束持って行きよる。」
そんなことも知らずにチケット売らないでほしい、と無性にダフ屋に腹が立った。


献花台の前に立った。
笑顔のアレモンがいた。
まさかこんな形で再会するとは思っていなかった。
姫苺は幸いにも、物心ついてから、身近な人の死を体験したことがない。
祖父母も4人とも健在だ。
だから私は、この時初めて「死」というものに触れた。
アレモンの写真、たくさんの花、サポーター。
あぁ、この光景が「死」なんだ。
そう思うと突然涙が止まらなくなった。
献花台の前に立つまでは、正直すごく軽い気持ちで来たのに、突然とてつもなく悲しくなった。
友達にびっくりされたけど、一番びっくりしたのは自分だった。
この瞬間自分は「死」を学んだ。


試合中、そして試合後のことは、皆さんも体験した通り。
台風が接近していて大雨だったけど、誰もそんなこと気にしなかった。
不思議な鳥が来て、奇跡のように勝てた。
誰かの掲げていた「アレモンが見てる」のゲーフラが、みんなの気持ちを代弁していた。


試合後、精一杯アレモンの応援歌を歌った。
涙で声が震えそうだったけれど、すべてを振り絞って。
そして「オレオレオサンガ」。あの日ほど精一杯高くゲーフラを上げた日はない。
少しでもアレモンに見やすいように。


姫苺が作ったゲーフラの文面は、「アレモン愛してる」。
誰にも言ったことがない言葉だけど、アレモンのために初めて使おうと思った。
きっと他のサンガサポーター、そして横浜サポーターも同じ気持ちだと思ったから。
みんな大事な仲間のアレモンを、家族のように愛してたから。


姫苺の机には今でも、まだ、ポスターの傍に、かの白峯神宮のお札と、あの日の造花を飾っている。
いつまでもアレモンのことを大切にしていたいから。


こうやって一年前のことを思い出して、自分は生きていかねばと強く思った
アレモンの分まで生きていかねば