INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

『ジーザス・クライスト=スーパースター』観劇記 その1

↑サッカー観に行きすぎて、いま間違って「観戦記」って書きかけた。何の戦いだよwww


まぁ置いといて。7月9日に、JCSのアンコール公演を観に行きました。
場所は自由劇場。そうです、この作品が好きすぎて、とうとう東京まで行ってしまったのです(笑)
就活も終わったしやっと落ち着いたので、感想が書ける!!
でもほんとこの日の前後は(就活的に)波乱万丈だった!アキバで面接のお知らせの電話かかってくるしwwwそしてこの2日後には面接受けにいって、3日後にはそこから内々定をいただくことになるのである(^ω^;)


いや私の就活の話なんて誰も聞いてないんだった。てへぺろ
初めての自由劇場。2年ぶりのジーザス。
ついにこの日がきたか、生きててよかったなぁ、なんて思いながら開演を待つ。

キャストは芝ジーザス、金森ユダ、高木マリア。
私は初見のときから金森ユダしか見たことないけど、PVで初めて見たのは芝さんのユダだったので、ユダからジーザスってどうなるんだろう・・・!とちょっとドキドキしていた。
でも芝さんはやっぱり歌声も素晴らしくて、ゲッセマネのシャウトも渾身の伸ばし方だったし、なんていうか、すっかりジーザスだなぁ(笑)


今回は、行く前に役者さんの俳優インタビュー(http://www.shiki.gr.jp/closeup/jesus/actor/)を読んだり、キリスト教関係の本を読み込んでたりしてたので、いろいろ考えることが多かったです。
この2年間で自分もいろんな経験して、ものの見方とかも変わったしね。
インタビューで金森さんも「演じる者にとっても観る者にとっても、その時その時の感じ方がある」っておっしゃっていたけど、今回観劇して、それをすごく実感しました。以前は気づかなかったようなことに気づいたり、ユダ以外のキャラに感情移入するようになったり。


(※そうだ、今回の感想(半分作品分析になってるけど)は、劇団四季版の日本語詞を基盤にして書いてます。なので原詞と照らし合わせると当てはまらない部分とかあるんですが、あくまで四季版の解釈ということで。)


今回初めていろいろ気づいたのが、『不思議な出来事(Strange Thing Mystifying
)』で、マグダラのマリアをめぐるジーザスとユダの(1回目の)口論の場面。
聖書に照らし合わせると、イエスの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」という言葉が有名な、いわゆる「姦通の女」のエピソードにあたる部分です。
娼婦であるマリアに対し、優しく接するジーザス。それを見たユダはジーザスを非難するけど、ジーザスは逆にマリアをかばう。
ショックを受けるユダを尻目に、ジーザスに付き従う弟子と群集たちに向かって、こう言い放つジーザス。
「愚かな者たちよ お前達は 私のことなど案じてはいない」


次の瞬間、群集たちは驚いてジーザスを取り囲み、詰め寄りながらこう答える。
「そうではありません あなたを案じます あなたがわかります・・・」
そして、ジーザスに一歩ずつ詰め寄る群集たちとは対照的に、ただ一人なにも言わず、一歩ずつ後退していくユダ。


うわあああああ。
もうね、気がついたら泣いてた(笑)


ちょwwwまだ始まって15分くらいしか経ってないのに泣くとかwwwww最速記録だろ自分wwwwwww
でも、この場面は本当に、なんかこうユダの心境を思うと、うわあああってなった。
金森さんもインタビューで、これをユダにとって「衝撃的」で、「唯一の存在であるジーザスに受け入れられなかった」という決定的な場面だったと話していたから、それも自分の念頭にあって、だからこんなに涙が出てきたってのもあると思う。
でも今までは気づかなかった。ユダは、ユダだけが、「そうではありません」って言わないなんて。


この場面には(今回はじめて気づいたけど)シモンやペテロもいた。
つまり、他の弟子達は、「あなたがわかります」ってはっきり口にしてるわけだ。
でも、ユダは違った。
この劇の冒頭は、ユダがうたう歌(『彼らの心は天国に(Heaven on Their Minds)』)から始まるんだけど、その一番最初の歌詞は
「私は今わかるのだ 明日のことがすべて・・・」
なんだよね。
あれだけ偉そうに「わかるわかる」って言ってて、ジーザスに対しても上から目線で忠告してたユダ。
でも、そのユダだけが、「あなたがわかります」とは言わなかった。
うわああ。これは深い。深いよ。


そういえば、荒井献さんという研究者の方が、『ユダのいる風景』という本で、JCSについて少し触れているんだけれども、
「わからない」という孤独感が、この作品の核だと書いていた。
私は前回の観劇時にもこの本は読んでたけども、その意味が今回初めて、やっとわかった気がする。
だってこの劇の始まりは、さっきも言ったように、ユダの「私は今わかるのだ」という一言だし、ユダが歌うタイトルソングの『スーパースター』も、「私は理解が出来ない」から始まる。
マリアも、ジーザスに対して「私はわからない どうしてあげたらいいのか」と嘆くし、
そしてジーザスは、弟子たちや群集が、ジーザス自身やその教えのことを「何一つわかってなどいない」ことに対する孤独感を抱いている。
「わからない」「理解できない」っていうのは、本当にこの作品のテーマだと思うし、今回はそれに気づいたので、ちょっと深く作品を考えることができたかな、と思う。


そういや私、今回初めてマリアを好きだと思った(笑)
今までの私は100%ユダ側の人間だったので、ユダと一緒にちょっとだけマリアを憎んでたけど、でも、改めていろいろ考えると、マリアってすごくいじらしくて可愛らしい。
ユダみたいにキレたり裏切ったりせずに、ただ一途にジーザスを愛して、ジーザスのために献身することだけ考えてる。
でも、何をしてあげたらいいかわからなくて思い悩むし、同時に、ジーザスを愛してやまない自分の気持ちにも戸惑いを覚える。
マリアって、すっごく純粋で、すっごく優しいなぁ。ほんと、マリアのこと非難するとかユダさん馬鹿じゃないの(笑)


だめだー、まだまだ書きたいこと多いけど、一向に書き終わる気配がないwww
とりあえず今日はここまでにします。そうです、まさかの前後編です(^ω^;)
まだ裏切ってもいないのに、果たしていつ書き終わるのでしょうか?
まぁいいや、続きはまた明日!!