INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

HDS(久々に 読書 したので)

最近「読書」タグを全然使ってなかった…。まぁブログ自体書いてないんだけども

聖書の読み方 (岩波新書)

聖書の読み方 (岩波新書)

ユダに造詣が深い日本の研究者は誰か、と聞かれたら、私が荒井献さんと共に真っ先に思い浮かべるであろう大貫隆さんの著書です。
(ユダメインで研究しておられる、というわけではないですが。)
以下、紹介というより自分の備忘録として書きます。


端的に言うと、「聖書の読み方」というタイトルだけど、これを読んだからといって聖書が読めるようになるわけではない、そんな印象だった。
ので、この本を読んだらすんなり聖書が読める・聖書のすべてがわかる、と思ってしまった読者には、期待はずれの一冊になってしまうと思う。
というかこの本はタイトルの付け方がちょっとミスリードだ。
「聖書の読み方」を教えてくれる本というより、「なぜ人は聖書を『読みづらい』と感じるのか?」を分析した本、と言った方が適当な気がする。


その「読みづらい」と感じる理由も、もっともだと思う部分も多々あったけれど、
中には、聖書を「宗教書」「信ずべきもの」であるという強い先入観を持って読むことから生じる「読みづらさ」や、さらには単に「読書」というものに不慣れなことから起きるのではないか、と感じる理由もあった。
例えば、「神の実在や奇跡が信じられないので読みづらい」という意見があったけれども、なにも聖書は絶対に神を信じる立場で読まなきゃいけないなんてルールはない、というのはちょっと考えればわかることだし、もっといえば、普段から読書をしていれば、その辺はうまく対処できるんじゃないかなぁ、と思った。
(つまり、読書に慣れている人なら、「とりあえず自分が譲歩して『信じている』立場として読んでみる」もしくは、「信じていない立場で批判的に読む」のどちらかのスタンスにすうっと移行できるのではないか、と私は思う。それでも難解な部分はもちろんあると思うが。)


分析としては面白かったけれど、「読み方」という観点で言えば、初歩中の初歩というか、聖書のページをめくろうかどうか迷っている人、つまり聖書という門の入り口にいるというよりも、まず入り口に向かおうかどうか悩んでいる人が対象となっている印象を受けた。
ある程度心構えができていて、本当に聖書を理解して読みたいと思うなら、本書中にも書いてあるような注釈つきの聖書を読むか、聖書の概観やキリスト教の思想・歴史をわかりやすく説明している本を参照した方が有益だろう。
ただ、この本にも、それぞれの文書の時系列や執筆者、おおまかな内容や書かれる際のスタンスの簡潔な説明が載っているので、「それぞれの文書のつながりや意図がわからない」という場合は参考になると思う。


この本は、聖書を読むためのごくわずかなヒントは与えてくれるけど、基本的に「聖書は自分で一生懸命悩み、考えながら読むべきもの」というスタンスなので、あとはそれを道しるべとして、自分で頑張って読むしかない。
うん、今思うと、「読み方」というより、各自が「読みづらい」と感じていた理由を自覚して、「頑張って読むための勇気」を与えるための本なのかもしれない。