INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

ケータイ小説は小説なのか

つい先日「ケータイ小説大賞」なるものを受賞した「あたし彼女」という作品が一世を風靡していますが
あまりにネット上で賛否の議論が盛り上がっているので、姫苺も読んでみました。


姫苺はケータイ小説だけでなく、恋愛小説をあまり読まないので内容についてはあまり批評できないんですが、
議論の主流ともいうべき「これは小説として評価できるのか?そもそも小説と呼べるのか?」という点には思うところがあります。


上記のような議論が起きるのは、文節ごとに改行し、句読点を省く独特の文体、若者言葉の使用等が一因なわけですが、
姫苺の最初の意見は、「これは小説としては評価できない」でした。
そもそもこれは、その文体ゆえに、「小説」の枠には当てはまらないと思ったのです。
実験小説でもないのに、句読点を省いたりして「小説の最低限の形」すら保っていないので、これは評価以前の問題ではないかと。


ただ、同時に、これを「散文詩」もしくは「現代詩」とみなすなら全く問題はないと思いました。
「詩」とみなすなら、句読点の省略も全く気になりません。
「小説」という視点で見るのが間違いなんじゃないかと感じました。


でも、この「あたし彼女」だけがケータイ小説ではないし、きちんと句読点を使用するケータイ小説も多い。
そう考え、「ケータイ小説全体」を小説として評価できるかに思いを馳せた結果、姫苺の出した結論はこれです。


ケータイ小説」は「小説」に内包されるのではなく、「ケータイ小説」という新たな別物のジャンルである。


なんというか、「小説とケータイ小説」は、「小説とマンガ」「小説と絵本」くらい違うジャンルなんじゃないかと気付いたのです。
たとえば、絵本の作成方法は小説とは全く違います。
イラストが内容の大部分を占めていて、文章も簡易でないと、絵本にはなりません。
マンガにも、コマを割って、絵を入れて、台詞を吹き出しで書いて…という特徴があります。
文章の書き方や文体にも特徴があります。
絵本は基本的に乳幼児が読むものですから、簡易な言葉で、漢字も避けなくてはいけません。
マンガも、対象年齢に幅はあれど、基本的に書かれる文字(文章)は「誰かの発言」でなければなりません。小説でいう地の文に相当する部分が、文章としてはかなり省略され(絵に変換され)ます。
これは、表現方法や表現媒体の違いによるものです。


ここで、ケータイ小説に戻ります。
小説と、絵本やマンガは違いました。それは、絵本やマンガは表現の際に「絵をつけなければならない」という制約があるからです。
同様に、小説とケータイ小説は、根本的に違うのではないかと思います。
ケータイ小説には、「ケータイの小さい画面で読む」という制約があるからです。
ケータイ小説の文章が「陳腐」と言われがちなのは、この「制約」に適応するには、小説とは違い、簡易な文章が最も適しており、
その「簡易」さが、小説の基準に照らし合わせれば「陳腐」になってしまうのではないでしょうか。
ここで、仮にケータイ小説に、小難しい表現や、何行にもわたる長文を入れてしまうと、まるで絵本に難解な漢字を多用するがごとき「異質感」が生じると思います。
それらの表現が、ケータイの画面という「小さな空間」には適さないからです。
よって、ケータイ小説は、一般的な「小説」と比較はできず、
ケータイ小説」という枠組みの中で評価しなければいけないんじゃないかと思うのです。


以上、小説とケータイ小説は全く別物だという考えを述べましたが、
最後にケータイ小説についてよく言われる「似たり寄ったり」について。
よくケータイ小説は、「恋愛とか病死とかばっかでワンパターン」と言われますし、自分もそう思わないこともないですが、
おそらくそれはケータイ小説の「テンプレ」みたいなものになっているのではないかと思います。
例えるなら、少年漫画の主人公は男性であることが、暗黙の了解の如くなっているように。
また、我々はいわゆる「ベストセラー」になる作品にしか注目しませんが、
もしかしたら、ベストセラーにならないケータイ小説には、恋愛なんて全く関係ないものもたくさんあるかもしれない。
要は、ケータイ小説全体というより、人気の出るジャンルが「恋愛とか病死」であり、それを真似する人も多いということなんでしょうね。
ジャンプでバトル物がウケるのと一緒ですね(笑)
いつかジャンプで言うデスノートみたいな、新ジャンルのケータイ小説も出現するんじゃないでしょうか。


余談だけど、こういうケータイ小説をいわゆる「純文学」に近づけたら、金原ひとみの作品みたいになるのかなぁ。
両者の比較もしくは金原ひとみによるケータイ小説批評か何かあったら読んでみたい