福岡行ってた時から細々と読んでて、やっと読み終わった。
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1982/05/27
- メディア: 文庫
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遠藤周作は(今まで読んできた作家と違って)クリスチャンなので、すごく「下地」がしっかりした、綿密な研究と理論によって作られた作品になってます。
でもやっぱり彼は小説家だから、創作と割り切って人物像を作っているようなところもあったり。
いろいろ思うことはあったけど、一番強く思ったのは、遠藤周作の描いた人物像と、JCSの人物像がすごく似ているということ。
これを読んだおかげで、劇のいろいろな場面をさらに理解できた気がする。
特にジーザスの心の葛藤の原因とか。なぜあんなにあっさり群集が寝返ったのか、とか。
この作品では、ジーザスは奇跡なんか起こせなくて、「愛」を説いて、実際に人を「愛する」だけなんだけど、
群集や弟子達は、もっと現実において役に立って、かつ即効性のあること、例えば「奇跡(病人の治癒)」とか「反乱の指導者になること」を求めるばかりで、それによってジーザスとの間に深い溝が生まれてしまう。
これを理解した瞬間、JCSの「ホサナ」や「自分で治せ!」の場面の意味が一気にわかった。
てか姫苺は、いつもユダ目当てでいろんな作家の受難物語を読んでるんですが、
この作品を読んで、初めてジーザスに惹かれた。
こんなにジーザスを人間臭く、なのに神聖に書いた作品は初めて読んだ。
もちろんユダも非常に魅力的に描かれていたけど、今回はジーザスの印象が強すぎた。
このユダは、唯一ジーザスの教えを理解した弟子だけど、それゆえ却ってジーザスに失望した、という描かれ方をしていた。ユダも即効派だったわけね。
最近やっと気づいたけど、自分が一生懸命ユダ作品を追うのは、「聖書」という一つの物語を、いろんな作家さんが再解釈して、いろんなユダを描くのが面白いからなんだろうなぁ。
なぜかみんな決まって「どこか善良なユダ」を描いてるのが面白い。
あぁ今回のレビューは本当にまとまらない。思うことが多すぎて難しい。ごめんなさい。
そういえば、昨日からキリスト教学の講義が始まりました。
宗教系の授業は初めて受けるから、すごく新鮮だった。
ヨーロッパでは、神学部は大学の中でもかなり重要な&伝統ある学部らしいから、学んでおいて損はないはず。
ユダは出てくる気配無いけど、でもそんなの関係ねぇ
授業と言えば、姫苺は今年から、司書の資格取得を目指すことに決めた(・ω・´)
まぁ現実には司書にはなれないと思うけど(超難関らしいし)やっぱり興味あるし。
でもそれで時間割組んだら、授業バラけすぎで涙目になった。
週6コマしかないのに毎日いかなければならない(:ω;`)
これは「せっかくだから、毎日図書館で院試の勉強をしようね」という神の啓示なのか
しかもそれによってバイト入れる日がなくなったんですが(((゜д゜;)))
自分金銭的にオワタ\(^o^)/