INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

【ネタバレ注意】「風立ちぬ」を観てきた

※ネタバレを含むので、まだ観ていない方は注意してください。


マンUの試合のブログも書きたいところだけど、まずはこっちから。
今日「風立ちぬ」を観に行ってきました。
先に観に行ってきた方々の感想とかを読んでると、なんだか微妙な感じだったのでドキドキでしたが、
(「とても」まではいかなかったけれど)それなりに面白かったです。


物語の起伏も少ないし、なんだか近代日本文学を彷彿とさせるような話の内容だったなぁと思ったら、
堀辰雄の『風立ちぬ』という小説からも着想を得てたんですね。特に菜穂子の話。
最初の二郎(主人公)と菜穂子がフランス語の詩を交わすやりとりといい、二郎の友人の本庄の会話といい、インテリ文化っぽいのが好きじゃない人には合わないかもなぁ。
(私はこういうの好きなので面白かった)
あと後半は恋愛の話がメインになってくるし、たぶん恋愛ものに全く興味なかった昔の自分が見たら、そこまで面白いと思わなかったと思う。そこそこ大人になった今はそれなりに感情移入できたけど。


けっこう面白いキャラ多かったけど、
私はインテリをこじらせたような本庄がけっこう気に入りました。
なんかこういう人物ってほんと近代日本文学によくいるよね。太宰治の小説とかにもいそう。
ていうか頭がとてつもなく良い若者って、その頭の良さが極まると
本庄みたいな学生運動でも起こしそうな思想派議論好きタイプになるか
二郎みたいなつかみどころのない変人タイプになるか、どっちかだと思う。


私は二郎を見ていて、なんだか益川教授を連想しました。
二郎の声は賛否両論あるけど私は好きでした。ああいう天才実際にいそう。
あといったん飛行機のことに集中すると周りの声が全く聞こえなくなるとことか。
本庄もだけど、「非凡」な人たちの描き方が本当にうまいなぁと思いました。


だから後半、二郎と本庄の会話が減って(というか本庄のインテリ発言がほぼなくなって)
少ししょんぼりしてしまった…。


あと妹もとてもよかった。妹萌えを狙ったんじゃないかと思うレベルだった(笑)


二郎と菜穂子の恋には、うーんと思うところもありました。
菜穂子はすごくいい娘だし、山に帰ってしまったときは号泣したけど、
二郎ちょっと冷たいよなぁと思うところもあったり。
結核患者いる部屋で煙草吸い出したときはちょっとこれは・・・と思った。
妹からも二郎の非情さを追求されるシーンがあるよね。


でも、そんな二郎の姿は、この映画全体のテーマには合致してるんだよね。
下記URLにもあるけど、この映画には宮崎駿監督自身が抱える矛盾が投影されてる。
http://www.oricon.co.jp/news/movie/2019668/full/

作品のテーマには、戦争の兵器である戦闘機などが好きな自分と、戦争反対を訴える自分、そんな矛盾を抱えた宮崎監督自身が投影されるという。


二郎の中には、「美しい飛行機が作りたい」って思いしかなかったはずだけど、
でも、それが殺戮の道具でもあることは、二郎だってわかっている。
軽井沢でのカストルプの発言にもそれが匂わされてるし、
本庄も二郎に対して、自分たちが爆撃機を作っているということに少し迷うような発言をする。
そして最後のシーンでは、太平洋戦争と零戦をめぐる無残な結末が示唆される。


二郎は、零戦を開発することで、彼の夢をかなえた。
しかし、それは同時に、高性能な殺戮の兵器を生み出したという事実でもある。
これを美談ととらえるか、過ちととらえるかは、表裏一体なんだよね。


二郎の菜穂子に対する愛し方にも、このことが言える。
衰弱していく菜穂子と「一日一日を大切に」暮らしていく姿は、たしかに美しい愛情の形だといえる。
けれど、いつも仕事で帰りが遅くなり、菜穂子を看病できないにも関わらず、本当は山での療養が必要な菜穂子と共に暮らし、菜穂子に無理を強いるのは、ある意味、二郎のエゴともいえる。
これを「愛情」ととるか、「エゴ」ととるか。


どちらの答えも、映画の中でははっきりと提示されない。
その判断は、観る者にゆだねられている。
この言葉が適切かわからないけど、これがこの映画の「面白い点」のひとつじゃないかな。


あとジブリの作品ってけっこう「滅びの美学」みたいなの多いよね。
バルスで崩壊するラピュタとか。
最後は都会でひっそりと暮らしているタヌキたちとか。
しゃべらなくなってしまった黒猫とか。
シシ神の滅んだ後のもののけの森とか。
絶滅寸前で去っていく床下の小びとたちとか。
ナウシカの原作もそんな感じだよね。
だから、最終的に悲劇しか待っていない「零戦」と「二郎の恋愛」の運命もまた、「滅びの美学」のひとつだったりするのかなぁと思ったりもする。


二郎の零戦も愛情も、もしかしたらただのエゴなのかもしれないけれど、
それでも、菜穂子だけは二郎のすべてを理解して、彼のエゴも罪もすべてわかったうえで、それでも最後「生きて」という言葉を二郎にささげる。
たとえひとりだけだとしても、たったひとりでも、理解者がいるということ。
飛行機への愛や、恋人への愛など、様々な愛情の形が描かれるけど、
この「善も悪もすべてを理解した上でささげられる愛情」こそがこの映画で本当に描きたかった「愛」の形なのかもなぁと思ったりした。