INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

サンフレッチェ広島・槙野のパフォーマンスについて考えてみた【J特】

はじめに、この記事を書くことで、サンフレッチェ広島サポーター及び槙野ファンに怒られる可能性があることは十分理解している。
しかし、私は怒られてもいいと思っている。
というのも、広島サポーター及び槙野ファンの方々は、怒ったからといって無意味に他人のブログを荒らしたりするような方達ではないということを知っているし、
仮に反論があった場合にも、冷静な意見でもって議論して下さると信じているからである。


さて本題。最近なにかと話題の槙野のパフォーマンスについて。
このパフォーマンスが前節の試合で廣瀬主審に阻止されたということは記憶に新しい。
私もその時点でブログ記事にしようと思ったのだが、忙しくてナビスコ決勝当日というなんともいえないタイミングになってしまった。ごめんなさい。


まず私の考えを書いておくと、槙野のパフォーマンスには現状では反対である。
ただし、「現状では」という条件付きで、もし現状が改善される可能性があれば、やってもいいんじゃないかと思っている。
しかし現状のままでは、あまりに問題点がありすぎる。
以下に私の考える問題点を列挙してみる。

  • 相手チームが不快に感じる

個人的なことになるが、私ははじめ、広島およびの槙野のパフォーマンスを楽しく見ていた。
というのも、槙野はパフォーマンスをやり始めの頃、「パフォーマンスをすればメディアにも取り上げてもらえるし、それで広島やJリーグの注目度も上がる」みたいなことを言っていたし、実際面白く感じていたからだ。
しかし、それは「スポーツニュース」でのことで、実際の試合中にどんな風に行なわれているかは知らなかった。


試合中にパフォーマンスがどのように行なわれるのか。
それを初めて知ったのは、私が応援している京都サンガとの、西京極での試合だった。
そこで私は、初めて「不快」「遅延行為」という意見が多い理由を理解した。
というのも、正直に言って私は、目の前で行なわれる広島のパフォーマンスに「いらだち」を感じたのである。
そこから広島のパフォーマンスに対する意見が変わった。


パフォーマンスをされる側は、いつも「失点した側」、場合によっては「負けている側」である。
悔しい、一刻も早く点を取り返したいという心境の中、相手の長いパフォーマンス(この長さについては後述)を見て、愉快に思うサポーター・選手はあまりいないだろう。


私は、「試合中に行なわれている場面を見たか」「スタジアムで実際に目にしたか」「自チームに対して行なわれているのを見たことがあるか」、の3つの経験があるかどうかによって、このパフォーマンスに対する感情は大きく変わってくると思う。実際私がそうだったからだ。
もちろん、こんなことを書くと、「敗者のひがみ」と思われるだろう。
しかしそれは当然である。この悔しい気持ち・不愉快な気持ちは「敗者」という当事者にならないと、わからないからだ。
「敗者」であるからこそ、パフォーマンスをされると不快なのだし、そこで悔しがるのはサポーターとして普通の感覚だ。
問題は、この「敗者」の気持ちが、「勝者」にわかるのか、ということである。
「勝者」の側、常に「パフォーマンスを行なう」側の者は、「敗者」の立場には立つことはないからだ。
広島の選手たちは、小規模こそあれ、自分達がしているのと同じような、大規模なパフォーマンスをされた経験はほとんどないのではないだろうか。
「敗者ひがみ」と言うのは簡単だが、敗者の気持ちに立ってこそ、フェアプレーは成立するのではないだろうか。

  • 時間がかかりすぎる

もっとルールに密接した問題点を挙げると、広島のパフォーマンスにはとかく時間がかかる。
たとえばカズダンスのように、その場でサッサとできるものではない。
まず、パフォーマンスに参加する役者が揃い、パフォーマンスをする場所(たとえばコーナーポスト)まで移動し、自分の立ち位置について、やっとパフォーマンスを開始できるのである。
これでは時間がかかって仕方がない。
そして、当然ながら、この「やたら時間のかかるパフォーマンス」は、遅延行為につながる。
失点し、一刻も早く点を取り戻したい相手チームにとっては、とてつもなく長く感じる時間だろう。


もっとも、後述するように、前節パフォーマンスを阻止されたことで、やっと広島側もこの問題点に気づいたようで、
ペトロヴィッチ監督は、槙野にこんな指令を出している。
サンフレ槙野に珍指令?パフォーマンスは“速攻”で

「(パフォーマンスは)もうちょっと下準備を早くしろと言われました。それぞれの“ポジション”につく時間が遅いからやりきれないと」

しかしながら、監督に指摘されるまで「準備が長すぎる」ことに気がついてなかったというのは問題だろう。
それに監督自身も、早める理由はあくまで「パフォーマンスをやりきるため」である。
遅延行為だとか、相手サポーターの感情といったことは、まるで無視されている。

前述したが、このパフォーマンスは審判団の間でも懸念材料となっていたらしく、
前節の横浜戦で、廣瀬主審がパフォーマンスを阻止するという事態が起きた。
DF槙野パフォーマンス制され怒/J1

逆転負けに、DF槙野智章(23)が恒例のゴール後パフォーマンスを制されたことに欲求不満を訴えた。前半24分にMF高萩が先制ゴール。「練習でうまく仕上がっていた」と言う「カーリング」のパフォーマンスをする予定で、槙野はストーンに見立てたMF森脇を投げるはずだった。しかし、主審がカード提示のそぶりで近づき、自陣に戻るように促され中止。「引きずってしまった」と槙野。リズムを崩したのか、1−2逆転負けでリーグ戦連続負けなしは「8」でストップ。3日に控える磐田とのナビスコ杯決勝(国立)を前に、痛い黒星を喫した。

私はこの廣瀬主審の判断は賢明だったと思っている。
というのも、パフォーマンスを阻止したということは、廣瀬主審の基準では、広島のパフォーマンスは(長さによっては)遅延行為に該当していたのだろう。
ここで廣瀬主審には、パフォーマンスを見届けて、本当に遅延行為でイエローを出すという選択肢もあったはずだ。
しかし、廣瀬主審も、広島の選手たちが良かれと思ってやっていることでイエローを出すのはかわいそうに思っただろう。
が、審判としてルールは守らなくてはならない。


ここで廣瀬主審ができる解決策はただひとつ、パフォーマンスを未然に阻止することだけである。
繰り返すが、彼はイエローカードを提示してもよかった状況なのに、そうはせず、言ってみれば広島の選手達を助けたのだ。
なんとも温情のあるレフェリングではないか。


しかし、このように審判から「目を付けられている」状況では、広島の選手達は自らを不利な状況に陥れているとしか言いようがない。
プレーとは関係のないところで、あえてイエローカードをもらう危険性のある行為をすることは、本当に広島というチーム、そして広島サポーターのためになるのだろうか。
槙野は、上に引用したリンク内で、「引きずってしまった」と述べている。
パフォーマンスを阻止されたことを引きずって負けてしまうようでは、本当にパフォーマンスが広島のためになっているのかどうかは甚だ疑問である。

  • 槙野自身の説明不足

槙野本人は、この「パフォーマンス阻止事件」について、こう述べている。
【J1:第28節 横浜FM vs 広島】試合終了後の各選手コメント

槙野智章選手(広島):
「ゴール後のパフォーマンス? カーリング・パフォーマンスをやろうとしてました。最近パフォーマンスで注目されるようになって、審判の方も知っているから、ゲームをコントロールするために止めるのはわかる。でも、それを楽しみにしているサポーターもいる。僕らもそれを狙っているのにも関わらず、それを止められたのは正直なところ、歯がゆい気持ちです」

私はこれを読んで、正直「ちょっと待てよ」と思ってしまった。
というのは、前述したように、槙野は「パフォーマンスをやります」と宣言した際、「パフォーマンスがメディアに取り上げられることで、広島の、ひいてはJリーグのアピールになる」と述べていたからだ。
その言葉に感心していたからこそ、「サポーターのためだけにしていたの?」という気持ちになったのだ。


同時に私は、槙野は自らのパフォーマンスについて説明する絶好の機会をここで逃してしまったように感じた。
ここで、槙野は「反対されるのもわかりますが、僕達は決してお遊びではなく、○○の理由でパフォーマンスをやっています。将来的に○○につながると思うからです。皆さんにご理解いただきたい」ぐらいの断固とした意見を述べれば、他チームのサポーターや審判団にパフォーマンスをやる意義をもっと理解してもらえたんじゃないかと思うのだ。
「止められて悔しい」だけでは、駄々をこねているのと変わらない。
理解されるためには、もっと積極的に自らの信念を発信し、相手を説得する努力をすべきではないだろうか。

  • 「広島の文化」として認められるための努力が足りない

たしかに、ゆりかごダンスや、W杯でも見られたアフリカ諸国の代表選手のダンスのように、ある程度時間がかかっても、阻止されず見過ごされているパフォーマンスは多々ある。
広島サポーターにとったら、「これらの既存のパフォーマンスは認められているのに、何故我々のパフォーマンスは認められないのか」と憤慨ものだろう。
この理由は明白だ。
ゆりかごダンスやアフリカ諸国のダンスは、サッカー界において世界的に「一種の文化」として認められている。
南アW杯において、明らかに騒音でしかないブブゼラの使用が認められたのも、「アフリカの文化である」ことが要因だった。
一方、何故広島のパフォーマンスは認められないのか。
それは、広島のパフォーマンスが、「文化」として日本サッカー界でまだまだ認められていないことの表れだろう。


「文化」として認められるためには、他チームのサポーターや選手、フロント、審判やサッカー協会関係者などに、パフォーマンスをやることの意義について、もっともっと理解してもらわないといけない。
しかし、私には、広島の選手・フロント・サポーターが、そのための努力を真剣にしているようには思えない。
もちろん、ある程度「努力しよう」としていることは認める。現に、佐藤寿人は、ナビスコ杯にむけてこんなコメントをしている。
【ヤマザキナビスコカップ決勝:前夜祭】記者会見での佐藤寿人選手(広島)コメント(10.11.02)

先日リーグ戦の横浜FM戦で、パフォーマンスができなかったという事実は皆さんご存知だと思います。レフェリーの方がどう僕たちのパフォーマンスを解釈しているかと言う部分もあるんですが、とにかく僕たちは点を取った時の喜びを大きく表現して、サポーターと分かち合いたいと。ただ、相手チームへの配慮も忘れてはいけないと思うので、素早く邪魔にならない程度にできればと思います。

広島の選手達も、「相手チームに不快に思われる」「遅延行為につながる」ことは理解しつつあるようである。
しかし、パフォーマンスを本当に「文化」にするためには、まだまだやれることはあるはずだ。
例えば、(シーズン中に可能なのかはわからないが)審判団や協会側とパフォーマンスについて話し合いをもつなどして、パフォーマンスをやる理由について直接説明することもできるし、
「パフォーマンスに対するチームの考え」を、公式HPに掲載し、他のサポーターに理解を求める努力だってできる。
「審判がどう解釈しているかわからない」ままの現状に満足していてはいけない。


サポーターやファンにだって、できることがあるはずだ。
パフォーマンスに反対される現状に不満を示すだけでなく、根気強く説明をしていくことが重要だろう。
他チームのサポーターの気持ちが一番よくわかるのは選手ではない。同じサポーターなのだから。


この問題がどうなっていくのかはわからないが、とにかく現状のままではいけないと思う。
彼らのパフォーマンスに、本当に槙野が最初に言ったような信念があるのなら、良い落としどころを見つけるための努力をもっと見せて欲しい。