INSTINCT MACHINEGUN

ポケモン好きのサンガサポ。夫はセレッソサポのパンダ氏。ゆるすぎる観戦記やら旅行記やら。

宮本武蔵の映画3本分の感想

やっとNHKの「ハイビジョン時代劇シネマ」でやってた映画「宮本武蔵」(監督・内田吐夢、武蔵役・萬屋錦之介)のシリーズ全5部作を全て見終わりました。
なかなかリアルタイムで見れなかったけど、ビデオ録画して頑張って見てよかった!
以下感想をちょっとずつ書いてみます。


宮本武蔵 二刀流開眼』


シリーズの第3作目。
前作で武蔵が胤舜とは戦わず、肩透かしをくらったような感じで話が終わったのですが、結局今作でも戦わないまま。
というか宝蔵院の件はあれで終わったらしく、今作では出て来ません。
結局何だったんだ宝蔵院。まぁ阿含とは戦ってたけど。


その後、武蔵は柳生にも乗り込むのですが、四天王とは戦うものの、石舟斎とは顔を合わせる事もなく終了。
まぁ、石舟斎の部屋に乗り込もうとしたら、お通さんがいたので驚いて逃げちゃったのですが(笑)
胤舜、そして石舟斎という当主級の人物2人との試合・対面が回避されたことで、なんか一番戦うべき人と戦ってないというか、未消化なもやもやした感じが残りまくる。
でも、今思うと、これでよかったのかもしれない。
この2人との試合が回避されたことによって、武蔵が当主と戦うのは、吉岡道場が初めてということになった。
もし、この強い2人とすでに戦っていたら、吉岡道場での決闘は色あせていたかもしれない。
それに、宝蔵院や柳生で武蔵が当主を殺していたら、そこでも吉岡道場で起きたことと同じ「殺し合いの螺旋」が起きることは避けて通れなかっただろうし、それが描かれないのも不自然というものだ。
この胤舜・石舟斎をスルーするというやり方は賢明だったのだろう。まぁ物足りないけど。


この映画では、佐々木小次郎がシリーズで初めて登場するのですが、
なんと演じてるのは高倉健!! ご、豪華だ…(゜д゜;)
しかしこの映画では祇園藤次がヘタレすぎて泣けた、小次郎にちょんまげ切られとるしwww
そして藤次は、そのまま吉岡道場の金を持ち逃げし、お甲さんとどこかへ逃亡。以後出番なし。
完全にかませ犬だったのが悲しい(・ω・`)


一方そのころ朱美ちゃんは、清十郎にレイープされて川に飛び込み自殺未遂…。
清十郎ひでぇ!! 清十郎様がかっこいいのは「バガボンド」だけだな本当に!!
朱美ちゃん、あんな純粋でいい子なのにカワイソス(:ω;`)
そして、朱美ちゃんを助けて溺れ死んだ「権じい」もっとカワイソス(:ω;`)


物語は、清十郎が武蔵に斬られるところで終わります。
殺し合いの螺旋が始まるよ…


宮本武蔵 一乗寺の決斗』


この4作目では、武蔵と伝七郎の対決、そして吉岡一門との一乗寺下り松での決闘が描かれます。
吉原の街や、吉野太夫も出てくるよー。
バガボンド」に吉野太夫が出てこないのは本当にもったいない。イノタケさんにぜひ彼女を描いてほしかった。


バガボンド」では、清十郎がひょうひょうとしていて、伝七郎がヘタレという感じでしたが、
映画(原作)では、清十郎が弱気、伝七郎が強気に描かれてます。
武蔵との戦いの後、清十郎は伝七郎に「武蔵と戦うのはやめろ」と忠告するのですが、伝七郎は聞く耳を持たず、兄を軽蔑。
(あ、原作では腕がなくなるだけで、清十郎は生きているのですよ。)
かわいそうな清十郎は、置手紙をして道場から家出、失踪。
うわーん清十郎完全にヘタレキャラだよ!朱美ちゃんレイープする勇気はあったくせに(・ω・;)


あと全体的に小次郎がしゃしゃり出すぎ!
清十郎と武蔵の決闘の時も、わざわざ見物しに来て、「清十郎の腕を切り落とすべき」とか勝手に吉岡の人たちに指図してるし、
吉原で武蔵が吉岡一門に囲まれた時は、どっかから出てきて両者を仲裁し、勝手に果し合いのこと決めちゃうし、
決闘当日の下り松に「立会人として来ました」とか何とか言って勝手に来て、「誰も頼んでない」って言われたら「じゃ帰るわ」ってさっさと帰っちゃうし・・・
どんだけおせっかいっていうか仕切り屋なんだよ小次郎www
あなた何がしたいんですか(・ω・;)


武蔵は吉岡一門が名目人とした幼い子どもを斬り、一乗寺から逃走します。
そして比叡山に逃げ込むのですが、僧侶達から「お前のような罪人は寺に置くことはできない」と罵倒され、追い出されます。
その、この映画最後の場面で武蔵が発した台詞は「我、事において後悔せず」。
『独行道』の有名な一説だ。


宮本武蔵 巌流島の決斗』


シリーズ最終章。
それぞれの運命が交錯し合い、巌流島での決闘へとつながって行きます。


えっと、今までの物語の中で、事あるごとに武蔵の命をつけねらってきた本位田のおばばですが、今作でやっと又八と再会します。
武蔵、そしてお通のせいで又八が不幸になり、戻ってこなくなってしまったと思い込んでいるおばば。
しかし、又八の様子は、おばばの想像とは全く異なっていた。
妻である朱美と、彼女との間に生まれた赤ん坊を幸せそうに見守る又八。
そしてその傍には、偶然通りかかり、又八と和解したお通の姿。
ものすごく幸せに暮らしている又八を見て、自分が今までやってきたこと、思っていたことが完全に誤りだったと気づくおばば。
おばばは「そんな赤ん坊は知らん、本位伝の子どもではない」と叫びながら錯乱する。
最初はこのシーンの意味がわからなかったんだけど、そうだよなぁ、もう武蔵の命狙ってたのとか勘違いも甚だしかったわけだもんなぁ。そりゃ錯乱するよなぁ。
このシーンで、おばばは初めて又八から「親離れ」できたんだと思う。


そして、物語の終盤、巌流島(舟島)へと向かう船に乗る武蔵を、見送りに来たお通・又八・朱美・おばば。
おばば何で来てるんだwww普通は武蔵に対する恥ずかしさと申し訳なさで来れないと思うが(・ω・;)
自分を止めようとするお通を振り切って、舟に乗って行ってしまう武蔵。
泣き崩れるお通を支えるおばば。そしておばばは叫びます。


「負けるでないぞー! 武蔵、負けるでないぞー!!」


工エエェェ(´д`)ェェエエ工
こ、これ誰が見ても「お前が言うな」って感想抱くよ!!
ついこの間まで武蔵を殺そうとしてた人が言う台詞だろうか(゜д゜;)
おばばの改心と武蔵との和解を表してるんだろうけど…現代人から見たらちょっと不自然すぎる気が…。


そして巌流島についた武蔵は、小次郎を一撃で倒し、逃げるように舟で巌流島を去ります(実際、小次郎が仕官していた城の人たちに狙われたので逃げたんですがね。)
舟の中で、釈然としない表情の武蔵。
彼は、波にゆられながら、ここまでの戦いの日々を回想します。
今までの戦いを通して、命の奪い合いの虚しさを感じつつあった武蔵ですが、今回の小次郎との決闘によって、武蔵はその「虚しさ」を確信する。
そして、この5部作の、本当に最後のシーンで、海に浮かぶ武蔵が放つ言葉。


「この10年は、ただの空虚か…」




まさかこのシリーズを締める言葉が、これだとは思っていなかった。
これは、この映画を見た我々への、ものすごく重い問いかけだ。
この一言で、この映画の重みが、そして余韻が、ずっしりと増した。


ここまで、時に退屈しながら、時にハラハラしながらも、ずっとこの5部作を見てきてよかったと思う一言だった。
総時間にして約10時間、武蔵の半生を共に追ってきたからこそ、初めてわかるこの言葉の重み。
だって今まで10時間かけて必死に見てきたのは「ただの空虚」だったのかもしれないんですよ。
長時間かけてこのシリーズを見ることで、初めて我々は、長い戦いを経た武蔵と意識をシンクロさせることができる。


もし、今後このシリーズを見ようと思う方がいらっしゃったら、絶対にこの「巌流島」だけ見て終わろうなんて思わないでください。
この映画は、この最後の台詞は、シリーズ全部を見てこそ意味がある。